寄稿


シンガーソングライター

夢と思わないけれど、いまも実感がない。
いまから15年ほど前、「暮らす町の仕事帰り、好きなひとのLIVEが聴けたら、どんなにか幸せだろう。」と思っていた。そして聴きたいと願ってきた。こうして今まさか、LIVEを観て、演者と一緒に愛する店で食事が出来るとは。

巡るご縁があり、ことあるごとに話す北京料理店。人と逢うたび、「福島は餃子の町なんです!しかも、ここのはてんで違う。皮は手作り、材料切るのだってミキサーなんぞ使っちゃいない。すべてはジャングィの包丁さばきによるもの。味付けだってしっかりなされているのだから、まずはそのままを頬張って。酢はもちろん、醤油とラー油はお好みで。そう、そのひとくちを食べた後に、ね。」語り口と言ったら、それは自分の御用達って具合に、自慢げたっぷりだ。

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撮影:Black Comet Club サイトウヒツジ

 ふと眼が合ったのは、LIVE翌日の11:30。勤める店のすぐ鼻先。シンガーソングライターとベース弾きのふたりの姿が見えた。あわててドアを開け、話しかける。
「王芳は、いま開いたばかりです!食事ご一緒しても良いですか?」とずうずぅしくも私。
「あぁ、昨日聞いていたからね、ここ。何を食べたら良いか、教えて。」と応えてくださる。
好きなものをいっぺんに味わえる贅沢と言ったらない。終始緊張で、途中注文すら間違える私。どれだけ幸せだったことか。

ふたりのLIVEは、この町で2日間の4公演。しかも、すべての構成がおなじ曲のない、まさに一期一会。羨ましくも、3公演観たお客さんが言う。「LIVEのとき、お料理の話されてましたよ。」と。

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「定食。付け合せのキュウリが絶品でした。(伊賀航さん)」
「酢豚の林檎、はじめて。丁寧な仕事されているのですね。海老も美味しかった。(寺尾沙穂さん)」

憧れの方たちを、案内出来る喜び。福島市に誇れる食のお店があること。キシキシとした野菜の歯応え、スープたっぷりの餡を含む肉の旨さよ。 いつでも案内したい暮らす町の北京料理店。

その姿は、きょうもこの町にある。
それだけは、夢でない。
 
寺尾沙穂
http://www.sahoterao.com/
伊賀航
http://tone.jp/artists/igawataru/


PICK-UP / 田中 栄

わが青春の「王芳」、かな?

─ 創業45周年を祝して ─

            ワタナベ タカユキ

 

 昭和46年(1971)の開店だという。自分がこの街で自立をはじめた年もその年だ。自分の歩みとまったくかさなっていたわけだ。しかし曲がりに曲がったわが歩みが「王芳」と出会うことになるのは、4回目だった職場と仕事に一つの見切りをつけて、その後生業というべきものとなる〈編集クリエイティブ〉の道に踏み出した昭和54年秋以降のことだ。しかし出会いのポイントを「食べる」ことにおけば、あるいはその前だったかも知れない。そこの記憶は定かでないが、食べたものは覚えている。「王芳麺」、現在の「あんかけそば」の元祖メニュー(のはず)。その評判を耳にしていて食べに行ったのだったと思う。店は多分、2ヵ所目の場所ではなかったろうか。

 昭和56年12月12日付福島民報夕刊に、「味道真好」の第1回が載った。その広告シリーズを企画制作したのは、仕事を共にすることになった印刷会社の王芳御用達だったデザイナー斎藤さんの求めに応じてのことだった。幸い好評を得て、パワフルな画力を秘め持った新卒の女性デザイナー浅井さんのイラストとの掛け合いも生きてその後の制作を楽しませていただいた。そのすべての切り抜きを、このホームページで順次リバイバル公開中だ。

 それを見て、自分で言うのもナンだが、楽しんで作ったものはあまり恥ずかしくないものだなと思う。ナンでもそうなのだろう。しかし当時、20代から40代前半まで、文字通り24時間タタカッていたので、なかなか街に出たり店に食べに行くことができないような生活が続いていた。たまに行っても、こんどは惚れてしまうと一途なタチがワザワイして「あんかけそば」と「肉みそ丼」ばかりを注文する。しかし知らぬことには紹介はできないので、ときどき浮気をしてカバーしたり、おごってもらったり……。いつも満足して、楽しく書き、作らせていただいた広告だ。

 

 看板にいつわり無しの「味道真好!」な口福スポットを持つことは、忙しさやクルシサをがんばる大きな励みになる。24時間タタカっていた時代とはいえ、またそうであればこそ、たまには自分にうまいものを食べさせてやりたくなる。そのときの行き先が「王芳」であり、同じビルにあった「ゆず」であり、県庁近くの「中町食堂」などだった。いまつくづく思うのは、「美味しさ」というのはいつでも食べに行ける限りのものであって、思い出ではほとんど意味がないのだなあ……と。

 そうしてタタカっていたころや貧乏学生だったころからのこの街とのつきあいを振り返れば、上に上げたほかいくつかの店や喫茶店が思われるのだが、多くのほとんどが姿を消してしまった。それらのスポットは、タタカイながらも誰かを好きになったり、追っかけたり、逃げたりした街角や路地裏や隠れ場所としての街の記憶。そうした誰かや何かがからんでいれば、思い出だけでも意味のある「美味」もある。その記憶、思い出の中から何かが生まれ出るためには、やはり、その店や場所が現役でありつづけてくれなければと思う。だから「王芳」の現役営業中は、格別にうれしいことなのだ。

 

 それにしても、この街の記憶と思い出のよすがとなる歴史的建物は、あの大震災で、ついにほとんどなくなってしまった。街の文化のもっともゆるぎないアンカーとなる、パリの街になら多分ある(実感としては知らないので想像するだけなのだが)そんな店や場所を、いまこれからのふくしまをつくる人々には、ぜひ強くイメージしてもらいたいなと思う。なくなったものは新たに生み出してゆくしかないのだから。これから先の世代に、同じようなさびしさや所在なさを味わわせない、福島の名にふさわしい街を。(2016.6.9)

うまい。早い。うまい。

べたべた素材をいじくりまわさない。丁寧な丁寧な下処理は、既にすんでいる。
注文が入ったら、準備万端の素材たちが的確な温度で炒められ、味付けされるだけだ。

いまあなたがお腹が空いていて、まっとうな物をまっとうに食べたいのであれば、
このお店を紹介します。

開業50年近いこの店の、お父さんお母さんのリズムの中で、
わたしたちはただうまい飯を食べればいいだけ。

毎日煮出されているほうじ茶を料理の合間に飲みつつ、舌鼓をうちましょう。

LIFEKU/遠藤知絵

その手から感じること

嗚呼、この手だ・・・!
ホームページに映し出された ” 包丁を持つ手 “には、確かに見覚えがあった。霜焼けしたように赤く、普通の人の2倍はあろうかという太い指、パツンと腫れ上がったその手は、まぎれもなくマスターの手だ。

学生時代、金源ビルの厨房でアルバイトをしていた私は、マスターの腫れた手を見て驚いた。何十年もの間、厨房に立ち、何をも厭わず水仕事をしてきた ” 料理人の証 ” だという。しかもその手はただ大きいだけではない。人参に飾り包丁を入れ、餃子の大きさもヒダもすべて同じに包む、器用で繊細な手でもあるのだ。「野球ミットのようですね!」などと失礼なことをいう私に、「そうだ!売ってる手袋が入らねえんだぞ!」と言って大きく笑うマスターと、それを笑って見守る奥さんの顔は何だかとても誇らしげであった。

福島を離れて25年、大学生だった私も今では子育てに追われる ” おばさん ” である(笑)。その長き間、マスターと奥さんは来る日も来る日も料理に向かい、御歳は召しても(失礼!)変わらぬ料理人の誇りをもって王芳を守ってきたことを、その手が物語ってるように思う。マスターと奥さんの「無言のメッセージ」に、私は胸が熱くなった。

あの味と二人の笑顔に会いに、また王芳に行ってみよう。

k・k

ご褒美ごはん

多分、年齢=王芳歴ぐらいおじゃまさせていただいてます。記憶があるのは
金源ビルからですが…

子供の頃、父が家にいて「今日は王芳か」
私達「わーヽ(^o^)丿」
緑色の橋を通るあたりからわくわくそわそわ。レンガ色の建物とモノトーンのブラインドが
見える頃には食べるメニューは決めてある。
みんなで王芳でごはん。特別な日になる。


ノリ

=等同

葱のあたま青いところを洗って、にんにくと生姜を包丁の背で潰す。
スープを仕込み、自分がチャーシューをつくるだなんて、思ってもみなかった。

出張に出掛ける。数多く並ぶサンプルの服から、
「あの人はこれかな?サイズ感もいける、大丈夫。」
「オレンジは差しで、ヤマ付けるのはやっぱりNavy。」
「このシャツの隣に置くべきは、このデニム。合わせる靴はどれにしよう?」

私の仕事は、服屋である。店頭に並ぶ服は、半年前の出張で決めている。

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 『仕込みが大事よ。菜単(ツァイタン)にあるものは、何でも作れなくちゃあ、困るろ。
お前等の洋服の仕入れと一緒よ。すべては段取りさァ。』
そう、ジャングイは言う。

これまで、「ものづくりをするひと」が最上だと思っていた。その出来上がったものを選ぶのが、
わたしの仕事。ものがなければ売れないし、そもそも作ってもらえなければ選べない。
そう思っていた。

しかし、御山のイタリアンLa Selvaticaの安斎氏や、ジャングイと話して価値観がぐるりと変わった。
料理人はマジシャンではない、いかにそのものに向き合うかが大事だと。

彫刻家が素材を生かすように、料理人は動く。仕込む。その手を走らせ、段取りをする。

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わたしが料理をするようになったのは、この店の影響である。
仕込みと仕入れは、等しい。

さて、ジャングイに教えてもらった大根をつけなくっちゃ。
天日干しが肝心。

すべては段取りである。

PICK-UP/田中 栄

一昨日の昼食

 今日は海老チャーハンを食べる!

と、決めていたのに、メニューを見ると 、、、、、。
やっぱり、冷しソバ。
いやいや、天津飯。

そこに見えますのは、肉の辛子みそ丼ではありませんか。

餃子はどうする。
全然、決まらない。
いつにも増して決まらない。

舌と頭からは、全部食べたい信号が送られてくる。 全部は無理だと胃からの信号が。
あ〜、暖かいお茶が美味しい。

「お茶だけ飲んで帰るんじゃないだろな?」 と、お父さん。
「ゆっくり決めていいからね」 と、お母さん。

他のお客さんに出される料理を見ては悩み。
トイレに行っては悩み。
またメニューを開いては悩み。
ごはんが食べたいなぁと、1人つぶやいては悩み。
お茶をもう一杯飲んでは悩み。

悩む幸せここにあり!悩むから人間なんだ!なんだかよく分からなくなってきた。

よし、決めた。
今こそ決断の時。
「決めました!」

声をかけたら、もう後戻りは許されない。
声を大にして言うのだ。いざ!

「肉チャーハン、大盛りで!」

僕の渾身の肉チャーハン大盛りオーダーは、いつものように、速やかに、お母さんからお父さんへ伝わり。あっと言う間に、目の前には、肉チャーハン特盛りが。

「晩御飯いらない量だね」(お母さん)
もくもくと、肉チャーハンを食べる。
バクバクと食べ終え、またメニューを開く。

次は何を食べようかな。

少少ジャングィ コジマ

奏でる王芳

はるばる、彼女たちは福島へやってきた。

福島は餃子の街。
皆で美味しい餃子をつつきましょう!と、
私たちは王芳へやってきた。

厨房のご主人の小気味よい包丁を捌く音
おかみさんのテキパキとした足音

ああ、パーティがはじまる!

焼きギョーズにゆでギョーズ、みそそば(ギョーズ、の響きよ)

ハフハフとギョーズをほおばり、「うまいっ!」
ゴクリと(昼から)生ビールを流し込み、「うまいっ!」
ズズズとみそそばをすすり、「うまいっ!」

言葉少なに、
文字通り一心不乱に食べる一同に相反して、
リズミカルな卓の音 
たまらない
顔を見合わせては笑った。

ごちそうさまでしたー!と外にでて、
確か一本道をはしゃぎながら走ったんだっけな

キャッサバ コラージュデザイン/佐藤洋美

美味しいことなんてわかってた。

僕にとって中華料理屋は鬼門。

肉、卵のオンパレードでしかも油たっぷりの料理達との対峙はシーフードベジタリアンで
通している僕にとって出来るだけ避けてきた道。

そんな中華音痴の僕を、敬愛する福島のナイスガイが「ぜひ連れていきたい店」として
誘ってくれたのが王芳。

席数は・・・・、けっこうある。
メニューも・・・、けっこうある。

しかし、働いているのは、たったの二人。 清潔な店内。キッチンも整然と美しい。
自分のしっている街の中華屋さんの、雰囲気とは違う。 年季の入ったおかみさんの接客、
おやじさんの独特の料理のリズム。 それらが心地いい空気を店内に循環させている。

肉も卵も使っていない、豆腐と野菜の炒め物を頼んだ。
油切れの良さ、潔い後味。
言うまでもなく、美味い。

店に入った瞬間から、美味いことなんてわかっていた。

って原稿書いていたら、ふらりと福島いきたくなった。 街に一つ、あってほしい店。
カウンターからの景色もあわせて、王芳という”街の中華屋の矜持”を味わってほしいな。
ぜひ。

オーガニックベース/奥津 爾

家族一同大ファンです

いつも美味しくいただいています。
どの料理も美味しく、やみつきになります。
あるメニューが一度自分の中でブームになると抜け出せなくなる魅力が各メニューにあるのです。
奥さんに注文を言うその瞬間まで、「最近ずっと炒めそばだったから今日は他の料理を食べよう!」と思っていても、「炒めそばで!」と元気に注文している自分がいます。
小さい頃は狂ったように卵チャーハンだけを食べていた気がします。

それだけ素晴らしい料理の数々です。 家族一同が王芳の大ファンです。

安部