わが青春の「王芳」、かな?

─ 創業45周年を祝して ─

            ワタナベ タカユキ

 

 昭和46年(1971)の開店だという。自分がこの街で自立をはじめた年もその年だ。自分の歩みとまったくかさなっていたわけだ。しかし曲がりに曲がったわが歩みが「王芳」と出会うことになるのは、4回目だった職場と仕事に一つの見切りをつけて、その後生業というべきものとなる〈編集クリエイティブ〉の道に踏み出した昭和54年秋以降のことだ。しかし出会いのポイントを「食べる」ことにおけば、あるいはその前だったかも知れない。そこの記憶は定かでないが、食べたものは覚えている。「王芳麺」、現在の「あんかけそば」の元祖メニュー(のはず)。その評判を耳にしていて食べに行ったのだったと思う。店は多分、2ヵ所目の場所ではなかったろうか。

 昭和56年12月12日付福島民報夕刊に、「味道真好」の第1回が載った。その広告シリーズを企画制作したのは、仕事を共にすることになった印刷会社の王芳御用達だったデザイナー斎藤さんの求めに応じてのことだった。幸い好評を得て、パワフルな画力を秘め持った新卒の女性デザイナー浅井さんのイラストとの掛け合いも生きてその後の制作を楽しませていただいた。そのすべての切り抜きを、このホームページで順次リバイバル公開中だ。

 それを見て、自分で言うのもナンだが、楽しんで作ったものはあまり恥ずかしくないものだなと思う。ナンでもそうなのだろう。しかし当時、20代から40代前半まで、文字通り24時間タタカッていたので、なかなか街に出たり店に食べに行くことができないような生活が続いていた。たまに行っても、こんどは惚れてしまうと一途なタチがワザワイして「あんかけそば」と「肉みそ丼」ばかりを注文する。しかし知らぬことには紹介はできないので、ときどき浮気をしてカバーしたり、おごってもらったり……。いつも満足して、楽しく書き、作らせていただいた広告だ。

 

 看板にいつわり無しの「味道真好!」な口福スポットを持つことは、忙しさやクルシサをがんばる大きな励みになる。24時間タタカっていた時代とはいえ、またそうであればこそ、たまには自分にうまいものを食べさせてやりたくなる。そのときの行き先が「王芳」であり、同じビルにあった「ゆず」であり、県庁近くの「中町食堂」などだった。いまつくづく思うのは、「美味しさ」というのはいつでも食べに行ける限りのものであって、思い出ではほとんど意味がないのだなあ……と。

 そうしてタタカっていたころや貧乏学生だったころからのこの街とのつきあいを振り返れば、上に上げたほかいくつかの店や喫茶店が思われるのだが、多くのほとんどが姿を消してしまった。それらのスポットは、タタカイながらも誰かを好きになったり、追っかけたり、逃げたりした街角や路地裏や隠れ場所としての街の記憶。そうした誰かや何かがからんでいれば、思い出だけでも意味のある「美味」もある。その記憶、思い出の中から何かが生まれ出るためには、やはり、その店や場所が現役でありつづけてくれなければと思う。だから「王芳」の現役営業中は、格別にうれしいことなのだ。

 

 それにしても、この街の記憶と思い出のよすがとなる歴史的建物は、あの大震災で、ついにほとんどなくなってしまった。街の文化のもっともゆるぎないアンカーとなる、パリの街になら多分ある(実感としては知らないので想像するだけなのだが)そんな店や場所を、いまこれからのふくしまをつくる人々には、ぜひ強くイメージしてもらいたいなと思う。なくなったものは新たに生み出してゆくしかないのだから。これから先の世代に、同じようなさびしさや所在なさを味わわせない、福島の名にふさわしい街を。(2016.6.9)